木炭日和

自給自足

私が育った山里では 近くで駄菓子や雑貨を売っていた 小さな店が一軒あっただけで 食料は殆ど自給自足で 賄っていました それでも 食べたいものが特にあった訳でもないので 食べ物に不自由はしていませんでしたね 今は食べ物が豊…

川から魚がいなくなった

中学の頃はよく魚を捕りに川に行きました 下流の方から川に潜って 魚が居そうな岩穴や岩陰で魚を探し 上流の方まで潜ると かなりな量の魚が捕れました 今は川に魚はいません 田んぼの農薬のせいも有りますが 護岸工事などで魚が住…

故郷の人々

県境にある山里が私の故郷です 北川ダムの上流の山間の小さな盆地ですが 同級生は大変多く 部落は16軒でしたが同級生が11人いました 学校でも私たちの同級生が一番多く3クラスあり 学校でも家に帰ってからも遊び友達が多く 勉…

始めて農薬が散布された日

1961年宮田輝アナウンサーガ紅白歌合戦で白組の司会をした年ですが私が中学の頃です。 家の前の道沿いに溝がありポンポロを使ってよくうなぎを捕りました。 ポンポロといっても知ってる人がいるかどうか解りませんが 竹の筒3節ぐ…

妻
私の妻は長野の白樺湖の産まれです。父親は伊那谷の箕輪、母親は塩尻の代々学校の教師を務める家系の人で私も23歳から10年程白樺湖にいたので随分お世話になった人で、恩人です。披露宴の時涙を浮かべ妻のことをよろしくと云われまし…

人々が寄り添って生きていた

田んぼにタニシがいて家の前の側溝でうなぎを取っていた頃、1961年。部落の人が集まって田植えの順番を話し合っていた、あの頃はいつも皆が集まっていた。小さな部落でしたが60年もの歳月が経った今でも一人ひとりの顔が思い出され…